9月27日から9月29日までの3日間で、宮城県の「塩釜」→「松島」→「石巻」→「女川」→「牡鹿半島」→「南三陸」→「気仙沼」と行ってきました。
宮城県仙台市の少し上のあたりにある塩釜から宮城県の北端の気仙沼まで、おいしいものをたくさん食べて寄り道しながら海岸の街を北上していきました。
行くことになったきっかけはどろっぷしっぴんぐ研究所の奥成さんから誘っていただけたことです。
奥成さんは過去に何度も現地に行って、ボランティア活動をしていました。そのときに知り合った民宿に泊まりに行こうとお声がけいただきました。
その民宿は牡鹿半島の先端にほど近いところにあります。泰平荘(たいへいそう)という名前です。
1日目:9月27日(金)「塩釜」→「松島」→「石巻」
初日は1人旅です。
午前9時ころに渋谷を出て、お昼の12時過ぎに塩釜に到着しました。
本塩釜駅で降りるべきだったのですが、間違えて塩釜駅で降りてしまいました。
天気も良かったので、30分くらいの道のりを歩いて、本塩釜駅を目指すことにしました。
途中で、鹽竈神社(塩釜神社)の前も通りました。今回はスルーしてしまいましたが、次回はここに行くことを1つの目的にしても良いなぁと思っています。
本塩釜駅の近くに着いたら、お寿司屋さんがたくさんありました。どのお店で食べようか10分ほどウロウロして、翠松亭でお昼ごはんを食べることにしました。
少し奮発して、マグロとウニの二色丼と塩釜汁。この2つでたしか2000円くらいです。塩釜汁は醤油味でサンマのつみれなどが入っています。
それからまた、20分くらい歩いて、塩釜のフェリー乗り場「マリンゲート塩釜」を目指しました。
途中で派手な船を見ました。
にわとりと竜。よくわからなかったですが、派手だなぁと思いながら写真を撮りました。
14時過ぎにマリンゲート塩釜に着きました。
塩釜から松島行きのフェリーが出ていることは調べていたので、その船を探しました。
15時に出港するようで少し時間があったので、ソフトクリームを食べて、マリンゲート塩釜内をウロウロしたり、飛行機を見つけたりして待っていました。
1人旅の女性や、友人同士での旅行かなという団体、夫婦のような方が5組くらい。
みんなソフトクリームを食べてました。天気も良くて少し暑かったし、駅からちょっと歩くからソフトクリーム食べたくなるんですよね。
案内を見て、塩釜では津波は腰くらいの高さまで来たんだなぁと気づきました。
そういえば、結構いろんなところで「過去の津波到達点はここまで」という案内板を見ました。
14時50分ころにフェリー「あすか」が到着して、乗り込みました。
乗るまで気が付かなかったのですが、塩釜から松島まで直線的に行く移動フェリーではなく、松島の風景も楽しめる遊覧フェリーでした。島めぐり芭蕉コースで、松島まで50分ほどかかります。
船内の窓はとても大きくて開けることもできるので、海に携帯を落とさないように注意しながら、かっぱえびせんを求めてフェリーについてくるカモメを撮りました。かっぱえびせんをあげようか悩みましたが、夫婦の方や友人同士の女性旅の方に混じって、静かにかっぱえびせんをあげるのもなんか寂しいなと思ってやめておきました。
出港して、10分も経つと、もう松島の島々が近くにたくさん見えてきました。
船内放送で「左に見えるのが、〇〇島で、名前の由来は…」とアナウンスをしてくれるので1つ1つの島を興味深く見れました。
移動もできて、松島もじっくり見れて、このフェリーは大正解だったなぁと思いました。
16時前に松島の船着場に到着。
松島では瑞巌寺と円通院に行こうと決めていました。
フェリーの中で瑞巌寺や円通院は17時に閉門すると調べていたので、少し早歩きで向かいました。
地図で見ると瑞巌寺は船着場から少し離れていて迷うかなと思っていましたが、船着場のすぐ目の前が瑞巌寺へつながる道でほぼ1本道を迷わずに辿りつけました。
拝観料を支払って、瑞巌寺の中へ。
瑞巌寺は本堂が修理中で見ることができませんでした。ただし、その代わりにこれまで一度も公開されることがなかった伊達政宗の位牌が特別公開されていました。これまで檀家さんでも見ることができず、本堂修理中の7年間(2017年3月ころまで)だけ見ることができるそうです。この期間が終わったら奥の方にまたしまわれてしまってもう二度と見ることができないのではないか、という話を聞きました。
瑞巌寺は2011年の東日本大震災の数年前に、地震に備えて屋根の瓦を外していて、そのおかげで大きな被害はなかったそうです。
瑞巌寺をあとにして、円通院に向かいます。
円通院は風情があるという言葉がぴったりです。庭園をゆっくりと通ってから、250年間開けられることはなかったという三慧殿(さんけいでん)を見ました。ちょうど閉門になるギリギリの時間で最後の方の訪問者だったこともあってか、檀家さんに一緒に円通院のなかを解説しながら周っていただけて、支倉常長の話などを聞くことができました。ただ見るだけではなく、「この模様にはこういう意味が隠されていて…だから250年も開かれることがなかった」という話を聞けると、より深く歴史を感じることができます。
17時を回り閉門の時刻となったので、円通院をあとにし、松島駅に向かいます。
地図に1.3kmと書いてあったので、楽勝だなと思っていましたが、行ってみると坂だらけで小さな山を超える必要がありました。
途中で黒猫を見つけたので道ばたで休憩しながら追いかけていました。
写真まんなかの黒いのが猫。
無事松島駅に着いて、石巻駅を電車で目指します。1時間くらいの電車旅です。
と思ったら、途中で乗り換えとなる小牛田(こごた)駅で、乗り換え電車を1時間以上待つことになりました。
待ち時間も含めて、2時間以上かけて20時ころに石巻駅に到着。
マンガの街と言われているだけあって、いたるところに仮面ライダーや009のキャラクター、ロボコンなどがいました。
予約していたコンビニエアーズロックホテル石巻に到着。
と思ったら、なんか見た目が完全にただのマンション。
マンションをそのままホテルに改造したようです。
これはこれで落ち着くので良かったです。そのまま1ヶ月くらい滞在したくなるくらいの落ち着き具合。
部屋に荷物を置いて、フロントに一旦戻って、近くに何かごはんが食べられるところがないか聞いてみます。
しかし、「これは石巻の特徴なのですが、居酒屋しかないんです。定食屋のようなところはありません」とのこと。
しょうがないでの探してみるかと思って、繁華街の場所を聞いて、20分くらいウロウロ。
羽黒寿司というお寿司屋さんを見つけて、寿司の握り11カンとお味噌汁を食べて満足しました。
この日は昼も夜もお寿司でした。
夜寝る前に、1日目は震災の跡を感じることはあまりなかったことを思い返しました。街のなかもキレイだったし、建物にブルーシートがかかっているのも見かけなかったし。
「津波ここまで」という看板と、松島行きのフェリーのなかで「この◎◎島は震災で少し崩れてしまって、2つの島に分かれてしまいました」というアナウンスを聞いたくらいでした。
あとは、石巻の夜の繁華街ではなにか石巻の街に溶け込んでいない雰囲気のスーツ姿の団体がたくさんいたことくらいです。建設会社の営業の人とか、行政の人とかだったのかな。
1日目終了。
2日目以降は震災の爪痕を特に強く感じる場所でした。
2日目:9月28日(土)「石巻」→「女川」→「牡鹿半島」
朝9時過ぎにホテルを出て、石ノ森萬画館に行きました。
石ノ森萬画館は石巻駅から歩いていけます。徒歩20分くらいかな。
たくさんの原画が展示されていて、もし自分が漫画家だったらこれは大興奮するんだろうなぁと思いました。
平日は1日50〜100人くらい、休日は500〜1000人くらいの人が来るとのことでした。
20人くらいでのツアー団体さんもいました。
震災時の様子の写真も展示されていました。石ノ森萬画館の被災状況は結構ニュースでも放映されていた気がします。
1時間ほど石ノ森萬画館を見たあと、すぐ近くにあった石巻まちなか復興マルシェに行きました。
こういった仮設店舗は石巻だけではなく各地に多くありました。
ここから、奥成さんと合流。
奥成さんは車で来ていたので、乗せていただいて、石巻を一望できる日和山に向かいます。
日和山にある鹿島御児神社も行きました。
日和山からは津波で更地になってしまった場所が見えました。
次は、山を降りて、この更地のまんなかで移動販売車で石巻焼きそばを売っている、ありがとうハウス(石巻焼きそば味平)の尾形さんのところに向かいました。
尾形さんは取材も多く受けていて、新聞やテレビにも出ている方です。
石巻に来た多くの人が訪れているようです。
石巻焼きそばのゆるキャラがめちゃくちゃかわいいと思いました。
この周りはほぼ何もない更地でしたが、尾形さんや訪れたボランティアの人たちが花を植えたりしているようでした。
瓦礫もなく、倒壊の危険がある建物も既に片付けられたあとのようでした。
ありがとうハウス(石巻焼きそば味平)はこのあたり↓
この写真はiPhoneのパノラマ機能で撮った写真です。本当は一直線の道路ですが、パノラマ写真の特性上曲がって見えます。
尾形さんにたくさんお話を聞いたあとに、石巻の中心街をあとにしました。
北上川に沿って北上すること、40分ほどの場所にある大川小学校に行きました。
大川小学校はニュースでも多く報道されていた場所です。
こんなに海から遠いのに頭上を大きく超える津波が押し寄せたのか、と改めて思いました。
大川小学校の周りには10台ほどの車やバスが止まっていて、みなさん手を合わせていました。
大川小学校のそばには砂が積まれた山があり、何十台ものトラックがひっきりなしに走っていました。
石巻の海岸もそうでしたが、地震で地盤沈下をしているのか、川の堤防はほぼ意味がなく、すぐに水が乗り越えてきそうな状況でした。
地盤の底上げ工事をしているのかなと思いました。
石巻をあとにし、女川に向かいました。
女川では倒壊した建物がまだいくつか残っていました。
工事中のクレーン車なども多く、石巻と比べて復興工事は時間がかかっているようでした。
「へー」と思ったのが現地に設置されていた案内地図です。
写真は撮り忘れてしまったのですが、「横倒れの建物」と倒れている建物も地図に載せていました。地図に載せるということはすぐには解体しないで、このまま残すのか議論しているのかなと感じました。
横倒れの建物の下まで来ている海の水からもわかるように、ここでも地盤沈下しているのか、海抜0メートルと言ってもいいくらい海と陸の高さが近かったです。
一部の橋や道路は既に底上げ工事がされていました。
そこから10〜20分ほど車を走らせて、マリンパル女川おさかな市場に行きました。
海産物だけではく、野菜やとうもろこしも売っていました。
新鮮な生ものが結構多く、その場で食べたかったのですが、今食べてしまうと民宿で夕食を食べられなくなってしまうと思いグッと我慢して、乾き物などのお土産を買いました。さんま昆布巻きも試食して、おいしかったのですぐに買ってしまいました。
そろそろ16時を回ってきたので、民宿に向かうことにしました。
少し遠くまで足を伸ばしていたので、ここから牡鹿半島の先端にある民宿泰平荘までは車で1〜1.5時間くらいかかります。
出たり引っ込んだりしている山道を通って、牡鹿半島の先端へ向かいます。
途中、いくつも浜があって、浜があるごとに小さな町が存在していました。
ある浜で夕焼けがキレイに見えたので、おもわず写真も撮りました。
泰平荘に到着。
泰平荘の周りには建物は何もありません。泰平荘だけです。
背が高い草むらには野生の鹿が多くいるようでした。ガサガサと草が揺れるのを何度も目にしました。
夕食は想像の10倍豪華でした。
特に驚いたのは大量のウニ。器に山盛りで、ワサビ醤油をかけてスプーンで食べました。
コンビニで売っているような大きめのゼリーの器いっぱいにあふれるほどウニが入っているような量です。
それだけではなく、お刺身、天ぷら、カニ、味噌焼き、焼き物と、こんなに食べきれるか不安になりながらも、おいしくて気がついたら食べきっていました。
カニは甲羅をあけて、そこに日本酒を入れて飲むとカニ味噌と混ざっておいしいんだよ、と教えてもらい、日本酒もゴクゴク飲んでしまいました。
お酒あまり強くないのですが、結構飲んでました。
18時ころに泰平荘に着いて、お風呂に入って、19時ころからごはんを食べ始めて、ゆっくり食べながら泰平荘の阿部さんからたくさんの話を聞いて、気がついたら23時過ぎになっていました。
この日は阿部さんもゆっくりしたいから、と僕と奥成さんだけの貸し切りにしてくれていて、他のお客さんはいなかったので、一緒にずっと飲んでいました。
この2つの動画は那須烏山市災害ボランティア チーム龍JINが撮影したものです。
泰平荘は2012年末に再建されたばかりで、とてもキレイな民宿です。
2日目はたくさんの場所を訪れることができました。
工事が進んでいるところ、まだまだなところがある。トラックが大量に走っている。海岸沿いを移動しているので当然といえば当然ですが海産物はたくさんある。いろんな立場で多くの人が関わりあっている。
と、たくさん感じたことがありました。
24時を回って、翌日も早起きの予定なので2日目終了です。食べ過ぎたので翌日お腹が痛くならないことを願いながら寝ました。
3日目はさらに北上します。
3日目:9月29日(日)「牡鹿半島」→「南三陸」→「気仙沼」
3日目。7時半から朝食だったので、7時前に起きました。
今日も天気が良い。
朝ごはんももりだくさんでした。サンマ、ウニの貝焼き、豆腐、カニ入り味噌汁、納豆、のり、海藻などなどたくさん。
全部食べきることができず少し残してしまいました、ごめんなさい。
3日目は朝から、離島の金華山に行きます。
10人定員くらいの水上タクシーで移動です。1人往復3000円。
水上タクシーはものすごい揺れて、手すりにつかまっていないと海に投げ出されてしまうのではないかというくらいでした。
車酔いもする僕は酔い止め薬必須です。
20分くらいで金華山に到着。野生の鹿がそこら中にいます。
中腹にある金華山黄金山神社には3回通うと一生お金に困らない、と言われました。
中腹からの景色も良い。
船着場は津波で壊れたのかわかりませんが、利用はできますが工事中でした。
1時間ほど金華山に滞在して帰りの水上タクシーに乗り込みます。
金華山の頂上まで登山をするなら往復2時間くらいはかかるらしいですが、黄金山神社に行くだけなら1時間も滞在すれば十分でした。
一度、泰平荘に戻って、コーヒーをいただいて、支払いを済ませて(なんとあれだけ豪華な夕食/朝食付きで7000円!)、泰平荘をあとにしました。
特に計画は立てていなかったのですが、結果的に簡易店舗街巡りになりました。
まずは、すぐ近くのおしかのれん街へ。
あまり多くの観光客はいませんでしたが、ポツポツと人が。
こういう「半島」には、「半島に行くか」という人しかいないんだなぁと思いました。
「半島」ではないところであれば、「◯◯に行く途中に簡易店舗街があるみたいだから寄ってみるか」ということがあると思いますが、半島の中だと「寄ってみるか」というお客さんは基本的にいないんだな、と感じました。
ここから一気に北上して南三陸まで移動します。車で1〜1.5時間くらいかな。
車で走っていると賑わっていそうな簡易店舗街を見つけました。南三陸さんさん商店街です。
駐車している車もズラーと並び、各店舗も賑わっていました。店員さんいわく、簡易店舗街としては唯一成功しているところなのではないか、とのことです。
南三陸さんさん商店街のすぐそばには、津波で壊れてしまい鉄筋だけ残った防災対策庁舎がありました。これはテレビでも見たことがある建物でした。その周りはほとんどが平原です。
南三陸さんさん商店街でも感じたのですが、結構観光客が来てるんだなと思いました。車のナンバーを見ると、宮城ナンバー、岩手ナンバーが多く、関東のナンバーもちらほら見かけました。
また、すぐそばにある川はこれも地盤沈下の影響かわからないですがとても近い高さにありました。橋のすぐ下を川が通っていました。
南三陸をあとにして、気仙沼に向かいます。
気仙沼は震災の2ヶ月後に一度行ったことがあるのでどのくらい変わっているかなと思っていました。
向かっている途中。線路にガードレールが作られていました。
これは、線路が壊れて電車が走れなくなったところを埋め立てて、今度はその道をJRが振替バスを走らせているようでした。
なるほどなぁと思いました。
また、瓦礫仮置き場も何箇所か見かけました。
思っていたよりも瓦礫は街なかに見かけなかったのでこういった仮置き場やさらにその先の移動場所などに持っていっているのかなと思いました。
もしかしたら、地盤沈下した地面を底上げするための土の中に瓦礫を入れたりしてるのかなと想像しました。
南三陸からさらに車で1〜1.5時間ほどで気仙沼に到着。
まだ取り壊し途中の建物もあるものの、結構キレイになっていました。全壊していた立体駐車場もなくなり、砂利が敷かれた駐車場になっていました。
ちなみに、2011年4月30日時点の気仙沼のほぼ同じ場所はこんな感じでした↓
2013年9月29日に戻って。気仙沼横丁ができていたのでふらっと寄って行きました。ここは夜飲みに来たら楽しそうな屋台村っぽい雰囲気を感じました。
大きなだるまも置いてありました。
気仙沼から大島に渡るためのフェリー乗り場の周辺には大きな観光バスが何台も止まっていました。
どうやら岩手から来ているようでした。「気仙沼海産物ツアー」みたいな感じで団体さんで来てるのかな。
最後に、気仙沼の港から5分車で走って、鹿折地区に行きました。
ここにはまだ大きな船がひとつ陸上に残っているとのことでした。
行ってみるとたしかに船が残っていました。現在ちょうど撤去作業中で、2013年10月末くらいで撤去作業が完了するようです。
これで3日間の東北旅行は終了です。
感じることはいろいろありましたが、1つ1つ前に進んでいる感を強く感じました。
現地にはどういう気持ちで行けばいいのか、どういうことをすればいいのか、考えながらの旅行でもありましたが、結果的にはおいしいものをたくさん食べて、気になった風景は写真を撮って、自然体で行けた旅行でした。
簡易店舗街やおさかな市場などでは、いろいろ食べたいけどもうおなかがいっぱい、もっと大きな胃が欲しい、とずっと思っていました。
あと、おみやげ屋さんでは生ものも多いので今度はクーラーボックスを持って行かないと、と思いました。
次回はさらにおなかを空かせて旅行に行きたいなと思います。
この3日間、気づけば海産物をずっと食べ続けていました。海産物はおいしいのですが、帰りの高速道路ではなにか違うものを食べたくなってサービスエリアでラーメンを食べました。
夜のサービスエリアでのラーメンもおいしいです。
もし気が向いたら、自然体で別に気を張らずに、おなかを空かせて東北観光旅行に行ってみるのも良いかもです。
最近、NHKオンデマンドであまちゃんを全部見たので、次は岩手に行って海女さんが取ってきたウニを食べたいです。